田中のおばさん

あくまでも個人の感想よ、言いたい放題だけど。

放任と厳しさとどっちがいいのか子育て論

放任と厳しさのバランスについて、子育てをしてる誰もが悩むと思う。

 

自由にしておいた中で、世間や社会の厳しさに自分で触れて、痛い目を見て気が付いて、自己修正する力を身に着けていったほうがいいのか(放任)

それとも、そういった厳しさにも耐えていけるように子供のうちから鍛錬を重ねていったほうがいいのか。(厳しさ)

 

放任主義の中で、自己修正力を身に着けることなく心折れてしまった場合は引きこもりになる可能性があるだろうし

厳しくしすぎてもそれは同じ結果を招くことがあると思う。

 

結局、何の解決にもならないけどそこは子供の特性を見ながら、バランスよくってことが答えなんだろうと思うからここではそこは追求しない。

 

でも昨日、すごく「へぇ~」と思ったことがあったからそれを書きます。

うちのお兄ちゃんは空手を習っているんですが、空手道場の先生がとても厳しい人です。(厳しいというのは感情的にではなく、ちゃんと理由のある厳しさです。)

現在昇給審査を受けているのですが、容赦なくダメ出しをされ、先生が要求するレベルに達するまで絶対に〇をくれません。

なぜダメなのかも教えてもらえないことがあります。だいたいの場合は教えてもらえますが、教えてもらえないこともあります。(←これはたぶんよっぽどひどい場合。)

 

お兄ちゃんは、あるひとつの技でつまづいて、あとその技だけ受かれば審査を通るのに、見せるたびに「ダメ」と言われていました。

彼としてはどこが悪いのか、わかったつもりなんです。

「たぶんここだろう」

と思うところを微妙に修正して見せに行くから、またダメと言われる。

何度も何度も違うところを修正して、感覚で見せに行ってしまうから悪循環。

先生も、何度も同じ間違いを見せに来るから当然イライラもするし絶対に〇をくれません。

 

たったひとつ、彼がやるべきことは

先生に「どこが悪いかわかりません」と聞いて、教えを乞うこと。

でも、先生は怖いし、自分でもなんとかなると思っている甘さもあるしで

聞きに行けない。

せめて、同門の帯上の先輩に聞きに行けばまだ教えてくれるのに、臆病な彼はそれもできない。

 

刻一刻と、時間だけが過ぎていく。

もちろん、私は上記のことを必死で本人に訴えているのですが、「大丈夫!」「お母さんはうるさい!」と聞く耳を持たない。

結局、終了2分前になってまた見せに行って、「何度言わせるんだ!」と先生に厳しく怒られ(ざまあみろ)、涙目になりながらダメな理由を聞いて(先生も教えてくれた。やさしさ。)

やっとわかったけどもうあとの祭り。タイムアップでした。

 

言いたいのは、

どんなに手を尽くして言葉を尽くして(親的には必死に伝えたつもりで)子供を育てたとしても、子供ってのは社会に出た瞬間にこうして簡単に超えられない壁に出会うんだなあと。

それはわけのわからない要望をつきつけるクライアントかもしれないし

理不尽な数字を掲げる上司かもしれない。

今回の場合は全然理不尽な理由ではないけれど

やっぱり一定のレベルに達していなければダメなものはダメ。

受験だってスポーツだって容姿だって、なんだってそうだよね。

でも、そんな社会の壁に出会ったときに、

何よりも一番邪魔なのは「自分のプライド」なんですね。

 

たったひとつ、「なぜですか」「どうしてですか」が聞けないために

どんどん時間が過ぎて、悪循環が起きて、周りが崩れていく。

そこから逃げない練習をしておくことって、大切だなあと。

 

審査(といっても今回落ちたのは予備だからまだチャンスはあるんだな)に落ちて

泣いていたお兄ちゃんでしたが、

今回のことで自分のプライドがいかに役に立たないかを勉強してくれたとしたら

こんなにいいことはないと思った瞬間でした。

 

補足ですが、こんなに厳しいことを言ってくれる先生は今やどこを探してもいなくなりました。

先生の厳しさはすべてにおいて理由があって、

・試合で困るから

・生きてくうえで困るから

だいたいこの2つに絞られます。

技術面でダメ出しをもらうのも、審査の数か月後になって「あ、やっぱりカカトの向きは絶対こっちじゃないとダメだったんだ」ってわかるようなこともあり

めちゃくちゃ細かいですがすべてが必要なことだとわかります。

そのときに、あの時の厳しさは愛情だったんだなとわかるのです。

 

 

厳しさとか放任とか、どっちがいいとか簡単には言えないけれど

どっちだろうが触れたときに、一番の問題は結局「自分の中」に内在するということ。

世界を変えていくのはいつも自分だということ。

これを学んでいくことが、親にとっても子供にとっても「育つ」ということだなあと

思ったのでした。

 

 

今回のブログはちょっとまじめすぎたな。